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鉄鋼の一口知識

「鉄鋼の実際知識」(発行:東洋経済新報社、編者:鋼材倶楽部)より抜粋。

目次

  1. 「鉄」という字、「鋼」という字
  2. 銑鉄1トンを作るには
  3. 鉄1トンの容積は
  4. トタンとブリキの由来
  5. さびの効用「耐候性鋼」
  6. 統計用語としての「粗鋼」
  7. 「ひも付き」取引のはじまり
  8. 鉄の問屋街[東の八丁堀、西の立売堀]
  9. いつから「鋼の時代」となったか
  10. AI(人工知能)の鉄鋼への応用

1.「鉄」という字、「鋼」という字

鉄という字の正字は鐵で、これを解くと「金++呈」となる。は「切る」という意味があり、「真っ直ぐに物を切り落とす鋭利な金属」を表している。
鋼は「金+岡」で、岡は「堅い大地を意味し、硬くて丈夫な物」を表している。
また、別に鐵を「金の王なる哉」と解く説がある。江戸時代の思想家三浦梅園は、「金とは五金(金、銀、銅、鉛、鉄)の総称なり、五金の内にては鉄を至宝とす。如何となれば鉄その価、廉にして、その用広し、民生一日も無くんば有るべからず」と記しているが、現在最も広範に利用されている金属であることを考えると、正鵠を射た説ともいえる。


2.銑鉄1トンを作るには

銑鉄は主に鉄鉱石からつくられるが、鉄鉱石以外にも石炭、石灰石などの原料やエネルギーが多く使われる。
銑鉄1トンを生産するためには、大体「鉄鉱石1.5〜1.7トン、石炭0.8〜1.0トン、石灰石0.2〜0.3トン、電力10〜80KWh、水30〜60トン」(大和久重雄著『鋼のおはなし』)が必要とされる。
また、1トン当りの鉄鉱石所要量は「鉱石比」と呼んでいる。
日本の鉄鉱石、原料炭の輸入依存度はほぼ100%で、2001年度は鉄鉱石1億2,649万トン、原料炭6,277万トンが輸入された。


3.鉄1トンの容積は

水1m³=1トン、鉄の比重は7.85g/cm³であるから、単純に計算すれば、鉄1m³=7.85トンとなり、それを立方根で開けば、一辺の長さ50.3cmの立方体が鉄の容積である。
同様にして他の金属を計算すると、鉄より比重の小さいアルミニウムは71.9cm、チタンは60.4cmで、鉄より比重の大きい銅は48cm、最も大きい金は37.3cmとなる。
ついでながら、鉄鋼製品の重さを知るためには、重量換算表が発売されている。例えば、鉄筋コンクリート用棒鋼をみると、長さ4.5mのD19が約100本でほぼ1トンである。


4.トタンとブリキの由来

光沢など似ている点が多いが、トタンは亜鉛、ブリキはすずのめっきで、用途、価格とも全然違う。
語源的には、トタンは、ポルトガル語のTutanaga(亜鉛)からきているが、出生については不詳。日本では明治44年頃から国産化され、屋根材として広く利用されるようになった。

一方、ブリキは、オランダ語のBlic、ドイツ語のBlech(薄鉄板)から転化したといわれており、歴史も古い。ブリキの利用で有名な話は、ナポレオンのエジプト遠征(1798年)の際の食糧貯蔵法からヒント得て、ブリキを用いて食品を貯蔵する方法が発明されたのが缶詰のはじまりで、爾来缶詰といえばブリキとなる。


5.さびの効用「耐候性鋼」

鉄は外気にさらしておくと酸化し、さびを発生する。鉄の最大の敵はさびといってもよく、これを防ぐために、古来から様々な研究がなされている。
防錆の方法として、めっきすることが最もポピュラーだが、さびることを逆手にとったのが耐候性鋼で、さびがそれ自身自然の膜となってさびの進行を防ぐ優れモノである。現在、橋梁、建築、車両、プラントなどに利用されている。
また、エコロジーの観点からみると、鉄はさびて自然に還元されるため、プラスチックのような問題を起こすことがない物質といえる。


6.統計用語としての「粗鋼」

「粗鋼」とは、英語のCrude steelの直訳で、日本の鉄鋼統計史上では1958年1月に採用された統計用語である。
それまでは、「鋼」と称されていたが、[1]なるべく海外と同義語が好ましいこと、(1)国連統計の定義がCrudesteel=鋼塊+鋳鋼用鋼であり、従来の日本の定義と一致していること、(2)従来の鋼は、鉄と区分される技術上の用語と混同されること、(3)語呂の面から二文字が好ましいこと、等々の理由により改称された。


7.「ひも付き」取引のはじまり

統制経済下では、鉄鋼は割当証明書によって販売されていた。証明書を提出して出荷を受け、現品はその証明書提出の需要家に配給されたので、数量、価格ともメーカー→問屋→需要家と一貫してひもが付けられていた。
戦後、価格統制が撤廃(1950年)、自由価格制に移行したが、主要メーカーは、戦前販売カルテル時代に行っていた「先物契約」と「建値販売制」を復活させた。証明書の必要はなくなったが、メーカーは大口または特定需要家に直送することになっているため、先物契約の際にこれら需要家の申込み書をとることとなった。これによって需要家の申込みは、問屋を通じてメーカーに連係されることになった。
これがひも付き契約で、現在いわれている「ひも付き」取引のはじまりである。


8.鉄の問屋街[東の八丁堀、西の立売堀]

東京の鉄鋼問屋街の中心は、明治末期までは、神田堀留であったが、その後京橋八丁堀、本所深川などに拡散していった。八丁堀が、艀の発着などに便利であったことから次第に問屋が集まりだし、関東大震災後、問屋街を形成するようになった。戦後、1969年に浦安鉄鋼団地に主要特約店が進出するまで、東の鉄鋼流通の中心地として繁盛した。
一方、大阪は東京と違いどこも水利が良く、場所には不自由しなかったが、立売堀に江戸時代からの老舗の鉄問屋があったため、自然と問屋が集まり、現在も鉄鋼問屋街の西の中心地となっている。


9.いつから「鋼の時代」となったか

産業革命後の19世紀初期のイギリスにおける鉄の製造技術は、石炭を燃料とする銑鉄精錬用反射炉=パッドル炉によって錬鉄をつくる方法がほとんどであった。しかし、産業の急速な発展にともなう鉄の需要増に応えられなくなり、新しい製鉄法が求められていた。
1855年に発明されたベッセマーの転炉製鋼法は、溶銑を溶鋼に転換する方法で、銑鉄を鍛造・圧延できる鉄に変えた「鋼の時代」の幕開けであった。その後、平炉製鋼法(1865年)などの発明によって鋼材の大量生産が可能となり、1885年以降溶鋼生産は錬鉄を上回った。この19世紀後半以降、世界史的に「鋼の時代」となった。


10.AI(人工知能)の鉄鋼への応用

推論、連想、判断、学習を行う人工知能(Artificial Intelligence)は次世代のコンピュータ理論として注目され、それを応用したものがエキスパート・システムである。
現在、鉄鋼業においては、生産管理、物流・配送、故障判断などに活用が図られ、導入されている。高炉制御への応用では、熟練技術者のノウハウをコンピュータに蓄積させることによって、最も熟練度を必要とする作業を、熟練度の低い者でも簡単に操作できるようにするシステムが威力を発揮している。

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