柔・剛構造論争

関東大震災の直後から、架構振動論の研究が活発になり、震度なる概念に基づく静力学的な考え方とは異なり、 構造物の地震動による応答を数理的に捉えようとする試みが始まった。

東京帝国大学・佐野利器教授は、当時の解析理論では問題の動力学的な解明は問題であり、さらに建築物を耐震的 ならしめるには、その固有周期を短くして地震との共鳴を避けうるような態勢、すなわち建築物を“剛”に設計することを推奨した。

これに対し、海軍省建築局長で土木工学の技術者である真島健三郎は、弾性性質をもつ構造材料で建物をいくら剛につくろうとしても限度があり、そのような程度のかたさでは建物を剛にすればするほど地震の作用も増しているから、同じく共振を避けようとするならば、逆に架構を“柔”にして、長周期の構造物とするほうがよいと反論したことから、 佐野の高弟であった武藤清らとの間に熱心な議論の交換があった。

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